「あんぱん」で描かれている嵩の軍隊生活。
実は、やなせたかしさんが実際にに経験したエピソードが多く盛り込まれています。
今回は、あんぱん第12週と重なる、やなせたかしさんの中国での軍隊生活のエピソードについて紹介します。

戦地では無線通信を担当
訓練後、やなせさんは中国の福州という農村地帯に派遣され、暗号班として無線通信の任務に就きました。
この地は戦火が及ばず、意外なほど静かで穏やかな日々が続いていたそうです。
現地の人々も戦争の存在すらよく知らず、まるで時間が止まったかのような環境だったといいます。
そんな中で、やなせさんは「暗号班」として通信を支えつつ、別の役目も担っていました。
紙芝居で人々に笑顔を届けた
やなせたかしさんが担っていたもうひとつの重要な役目、それが「宣撫班」としての活動です。
宣撫班は現地の人々に、日本軍への好感を抱かせることが任務。
やなせたかしさんは、農村をまわって紙芝居を披露し、現地の人々と心を通わせる時間をつくっていたのです。
拍手喝采を浴び、歓迎を受けながら披露した紙芝居には、彼ならではの優しさとユーモアがにじんでいたのでしょう。
朝ドラ『あんぱん』で嵩が紙芝居を通じて現地の信頼を得る姿と重なりますね。📖🌟👏
あんぱんの紙芝居は実在した
ドラマ「あんぱん」で嵩が披露した「双生児」を題材とした紙芝居「双子の島」。
これは、実際にやなせたかしさんが「双生譚(そうせいたん)」と題して中国現地で制作・披露したものがモデルとなっています。
片方が殴られると自分も痛みを感じる、そのシーンがどこへ行っても大爆笑。
そして、紙芝居の巡演に回ると各地でお茶や菓子でもてなされて歓迎を受けたと言います。
現地の人にとって心から歓迎されているようにも見える一方、やはり占領軍として日本軍が恐れられていたのではないか、と後にやなせさんは振り返っています。
紙芝居は父の教えから
この日本と中国を双生児に喩えた紙芝居。
これは、やなせたかしさんの父が残したこの言葉から着想されています。
東亜の存立と日中親善は双生の関係である
父・清さんが朝日日日新聞の記者をしていた時に書き残した言葉。
これを基に、やなせたかしさんは紙芝居「双生譚」を生み出したのでした。
ドラマ「あんぱん」でも、この言葉は史実と同じく、父・清さんが遺したものとして登場します。
中国とゆかりの深かった父・清さんの想いが、偶然にも戦地で働くやなせたかしさんに活かされることとなったのですね。
戦地で守ってくれた父・清
やなせさんは後年、戦争中は「父に守られていたように感じた」と語っています。
その理由のひとつが、やなせさんが辿った上海への行軍ルートが、父の卒業旅行と重なっていたことにありました。
やなせたかしさんの父は、中国の東亜同文書院という学校に留学しており、卒業旅行で中国全土をめぐった経験があります。
その記録『暁雲暮色』の編集も手がけており、その旅のルートと、やなせさんが軍として歩いた道が偶然にも重なっていたのです。
「父がこの景色を自分に見せたかったのかもしれない」
そう感じながら歩いた戦地には、ただの恐怖や悲しみだけではなく、家族のぬくもりも確かに残っていたのかもしれません。🌇👨👦
この『暁雲暮色』を、やなせたかしさんは生涯大切にし、父の仏前に飾っていたそうです。
ドラマ「あんぱん」でも、第12週では久しぶりに父・清が登場します。
やなせさんが、かつて父に守られていたように、清は嵩をどのように守ってくれるのでしょうか。


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